8/15
こころにくし
受験生は今が勝負の時期です。お盆もオリンピックも関係ありません。
まさか受験生はこんなくだらない文章を読んでいるとは思いませんが、もし万が一読んでいるな
らば、はやいとこ勉強に切り替えなさい。
それでもこの続きを読もうとしているダメ受験生のために古語のお勉強。
「こころにくし」
漢字で書けば「心憎し」。現代語の「憎い」の意味とは違って、「こっちがちょっとやっかみを
したくなるほど素晴らしい」という意味である。つまりは、「憎いあんちくしょう」の「憎い」であり、褒め言葉なのだ。間違っても「殺したいほど恨んでい
る」などと書いてはいけない。
だから、受験生の諸君は古文の文中に「こころにくし」を発見したら、その作者は「こころに
く」い相手を褒め称えているのだと思えばよいのである。逆の意味にとってしまうと文章の意味じたいまるで逆になってしまう。要注意です。
さて、前置きはこれくらいにして。
受験生には関係のないお盆もオリンピックも、夏休みの大学生には関係大アリなわけであって、
ミーハーこいてオリンピック観戦に夢中なわけです。といっても、まだ始まったばかりですがヤワラさんこと谷亮子と3連覇がかかっていた野村選手がそれぞれ
優勝して金メダルという快挙を成し遂げ、その瞬間に素直に感動しているくらいですが。ミーハーですね。
もちろん、この二人も「こころにくし」なのですが、自分は現時点でもうひとり「こころにく」
い相手がいる。それは中居正広。
TBSのオリンピックのメインキャスターが中居とクボジュンなのですが、自分は改めて中居正
広というタレント(才能)を賞賛せずにはいられないのです。なぜか。
中居という人間はSMAPという母体を抜きにしても非常にタレントとして優秀であり、歌唱力
以外はほぼアベレージを大きく上回る活躍をしていると言っても良い。特にバラエティの司会は抜群に上手く、中居の好き嫌いは別としても、その捌き方には一
目置かざるを得ない。
そんな中居がオリンピックのメインキャスターを務めたらどうなるか。自分は少し不安であっ
た。
しかし、蓋を開けてみればその不安は杞憂であることが分かる。中居は思った以上にオリンピッ
クを勉強しているので驚いた。
例えば小倉智明なんてのは趣味でオリンピックやらマラソンやらを観戦する人間であり、そのよ
うな人がスラスラと持論を交えつつオリンピックについて語ることなど別に不思議ではないのである。語ることが楽しくて仕方ないだろうし。
だが、中居の場合は今まで特にオリンピックに関心があるなんていう話は聞いたことがない。そ
れこそ「巨人ファン」ということくらいは有名であろうが、スポーツ全般について何か特別な関心があるとかいう話ではない。しかし、自分が今日目にした中居
は、今までそれほど関心もなかったであろう女子バレーについてそれなりのコメントを残していた。決して専門的ではないが的外れでもなく、キャスターとして
の仕事をキチンとこなしていたように思える。
きっと、中居はちゃんと勉強しているのだ。現地視察の多さも去ることながら、中居のキャス
ターっぷりには勉強の姿勢が窺われる。他のキャスターはそのような仕事が多かったり慣れたものなのでそれほど関心しないが、明らかに畑が違う中で遜色ない
キャスターっぷりを見せる中居にはちょっと関心した。他の仕事もたくさんあるだろうに。
8/14
世間の人は気づかない
白骨温泉が温泉の元で着色されてたのに気がつかなかった。これはしょうがない。温泉が着色し
てあるだなんて素人の考えの及ぶ話ではない。よっぽどその温泉に対して猜疑心のある人間かプロでなければ気づかない。
しかし、温泉でもない普通の水道水を沸かしてあるだけのものを温泉と言われて気づかないのは
どうだろうか。騙したほうが悪いだろうか。騙されたほうが愚かだろうか。実際、温泉の効能はウソであるにも関わらず「この温泉に入ってよくなった」という
人がいたから「ま、いいか」みたいな理由でずっと水道水を沸かしていた、みたいな言い訳をしていた宿泊施設もあったようだが、この場合、騙したほうと「良
くなった」と思い込んだほう、どっちが愚かだろう。
意見が分かれる話だと思う。そりゃ騙したほうが悪いだろうという人のほうが多いかもしれない
が、効きもしていない温泉を温泉と思い込んだほうも愚かではないか、といわれるとあまり有効な反論ができないような気がするのだ。
自分もひねくれた人間であり、なおかつあまり無闇に他人を信用しない人間なので、このような
質問をされた場合には「騙されたほうが悪い」だなんてあっさり片付けるかもしれない。
「うたばん」にて、藤本美貴がカンニング竹山に対して「初対面なのに気安く美貴ちゃんと呼ぶ
な」と発言した。
これは、カンニングに藤本と他2人(カントリー娘。)が加入したらどうなるか、つう展開にて
結成された「カンニング5」のネタ中での出来事である。
カンニングのネタがキレ芸であることは周知、かどうかはまだ分からないけども、少なくともカ
ンニングのネタ紹介のときに「キレ芸」として紹介されているから、番組をちゃんと見ていた人にはカンニングとはこういう芸をやる人たちなのだ、という相互
理解が取られる。別に番組をちゃんと見ていなくても、カンニングを知ってさえすればそこは問題がない。
この「大前提」を理解したうえで先に進まねばならない。次の段階として、3人が加わって「カ
ンニング5」となっても、基本的には「キレ芸」を続行するのであるということを理解しておく必要がある。これはカンニングの前に出演した2組(キングコン
グ・劇団ひとり)も同様のスタンスであったから、ここを理解するのもさほど難しい作業ではないと思われる。
これらの前提を踏まえたうえで、「藤本が軽く竹山をあしらった」というのはどのような位置付
けになるのだろう。これは果たして、竹山のキレ芸を誘発するためのフリだったのであろうか。答えはおそらくYESだったような気がするのだが、正解は定か
ではない。それは、竹山が藤本の発言に対して萎縮してしまったからだ。あそこで竹山がガツンとキレてくれれば「これはネタとしてのやりとりである」という
確認が取れたものの、竹山が萎縮し、更に藤本が追い討ちをかけるというパターンでは、あれが本当に起こったやりとり(アドリブ)なのか、それともネタだっ
たのか分からない。
このやりとりをどう理解するかについては様々な補完方法がある。例えば、カンニングのネタと
して「竹山が萎縮する」というパターンがある。これは相方の中島がキレてしまうというネタの時に起こるのだが、前回カンニングが「ねたばん」としてのうた
ばんに出演したときに披露したネタではあるものの、今回は一切そのことに触れられていない。
また、藤本には軽ヤンというキャラ付けがある。そもそも藤本は地元では「やんちゃ」だったら
しいけども、事実がどうだったかはともかく、キャラとしてそのような一面があることは確かだ。フジテレビの片岡飛鳥演出の場合によく用いられるのだけど、
その場合には必ずフォローが入る。それはアイドルとしての藤本美貴、という一面も大事にしているからだ。しかし今回は一連のやりとりについてフォローはな
し。それは竹山がキモいということが視聴者の共通認識であり、藤本のキレ方はごくまっとうであるということなのだろうか。
以上のような多角的な分析をした上で、あの藤本と竹山のやりとりはどうだったか、を瞬時に判
断する必要があるのだろう。ここまで書いておいてアレだが、自分にはあのやりとりが本物なのかアドリブなのか判断がつかなかった。
このうたばんに対して「面白かった」という評価を下した人は、この部分についてどのような判断を下したのだろうか。これが台本どおりならば「面白い」と思
えるのだろうし、あれがアドリブで藤本の本心から発したものであったとしても、やっぱり「面白い」なのだろうか。いづれにせよ、このやりとりを「面白い」
と思えるには、自分はちょっとハードルが高いように思える。
一般視聴者が、今回のやりとりを「面白い」と思えるのにはどこまで気づく必要があったのか。
カンニングがどんなネタをするかという知識が必要だったのか、藤本美貴というアイドルがどのような人間であるかを知っている必要があったのか、それとも、
見た目キモい男が女王様のようなアイドルにこきおろされているという図式だけで面白いと言えるのか。
これを「面白い」だろ、と提示する側が愚かなのか、それともこれを「面白いこと」であること
に気づかないほうが愚かなのか。
自分は前者のような気がする。
今年の日テレは嵐と心中するらしい。
今年の24時間テレビのメインパーソナリティが嵐だってのは以前から知っていたのだが、なん
と日テレのオリンピックのテーマソングも嵐だっていうじゃないか。なぜそこまで日テレは嵐とべったりなのだろうか。自分は日テレがそこまで嵐に依存したが
る理由がわからない。
端的に言えば、嵐は世間に対する訴求力が極端に弱い。
「嵐」はジャニーズ事務所所属のアイドルであり、リーダーの大野、慶応卒の桜井、変な顔の相
葉(うわ、ファンの人申し訳ない。他に説明が思いつかなかったのです)、2代目金田一松本、そして南くん二宮からなる5人組である。最近ようやく顔と名前
が一致するようになったが、それもそのはず、もうデビューして5年くらい経つわけで、「モー娘。の新しいメンバーの顔と名前がわからない」なんてレベルで
はない。嵐は99年デビューですよ。娘。の99年といえばラブマシーンの時代です。未だに後藤真希の顔と名前が一致しない人はそんなにいないんじゃない
か、と。
自分の年代のジャニーズといえばキンキキッズがメインであり、嵐はちょいと一世代ズレがある
せいか、いまいち人気にピンとこない。おそらく今の中高生が嵐のメインターゲットなのではないかと思われる。確証はないけど、きっとそのはず。
なもんで嵐がいくら中高生の間で人気者であっても、20代の自分からしてみれば彼らの人気の
凄さというものがわからないのである。本当に彼らは人気者なのだろうか、という質問は失礼なのかもしれないが、それくらいピンとこないのだ。中高生には人
気かも知れないが、裏を返せば中高生以外にはあまり浸透していないということである。
ファンの方には申し訳ないが、この際はっきり言えば、自分は嵐に対して中途半端なイメージしか持ち合わせていない。そんな中途半端な嵐をやたらにプッシュ
するのが日テレ。これまた申し訳ないが、この事実は偶然ではなく必然のような気がしてならない。
今の日テレは明らかに失速している。
8/12
でたらめすぎる
自分はどうにもドラマ「逃亡者」が面白くないように思える。
きっと理由はたくさんあると思うのだ。例えば、警察があまりにお粗末だ、という部分とか。逮
捕状も出てないのに永井をあんなに簡単に逮捕できる警察がいたらそれこそ問題だろう、とか色々思う部分はあるが、挙げればキリがない。
しかし、それ以上に自分が気に食わないのは、あまりに逃亡者である永井(江口洋介)の逃げ方
がアンフェアのような気がする部分だ。
警察がお粗末だという点もその片翼を担っているのだろうが、それ以上に永井の逃げ方が神が
かっている。どこをどう逃げればあんなミラクルな逃げ方が出来るんだろうか。自分にはちょっと理解に苦しむ部分がある。
自分は原作がどんなストーリーだったか知らない。たとえ原作に忠実だったとしても、自分はそ
れを評価することは出来ないだろう。あんな逃げ方が許されるんであれば、日本は非常に治安の悪い国になってしまうよ。それがドラマの中ですら。
部分部分の永井の逃走シーンはそれなりに描かれているとは思う。例えば今週4話のパソコンを
使っての陽動作戦などは、確率で言えばかなり杜撰な作戦であると言わざるを得ないが、それでもドラマの中での出来事だと割り切って考えれば、なんとか知恵
を絞ってドラマを面白くしようという意気込みが感じられるのでまあまあOKだとしたい。
けども、その作戦が成功し、パトカーに乗って都内に戻ってきてからアジトに身を隠し、その上
空港にまで移動するシーンが一切描かれていない。都内とはいえ、包囲網をくぐって都内に逃げ込むより、連日の報道の中で面が割れている永井が変装をした気
配もなく空港(おそらく成田。じゃあ都内じゃないな)に移動するほうが困難じゃないのか。都内のアジトに逃げ込んだのは夜中だからまだしも、空港に移動し
たと思われるのは昼間。いくらなんでも捕まるんじゃないのか。
ミステリー、とりわけ「本格」と呼ばれる条件には、読者にアンフェアであってはならないとい
うものがある。例えば、犯行に使われたトリックが文中に一切出てこないようなものであったのはNGである。それは読者が知ることの出来ない情報を使用して
いるからだ。読者にアンフェアであっては「本格」とは言えないのである。
別に「逃亡者」のドラマが本格であれ、とは誰も言うつもりはない。ドラマなんだからある程度
ご都合主義であっても構わないと思う。但し、面白ければの話ではあるが。しかし、本格でないにしろ、読者、視聴者にアンフェアであっていいことはないと思
う。ドラマの見せ場として描かれる状況よりも困難な状況を何の苦労もなく実行しているのはどう考えてもおかしくないか。今まで描いてきた逃走劇はなんだっ
たのかと。
そこがドラマの核心ではないから描かなかったのだ。その理屈はよく分かる。確かにこのシーン
での大事な部分は「いかにして空港にたどり着いたか」ではなく、「どこの空港から札幌に移動しようとしているのか」であり、空港への移動方法は描かなくて
いい部分だ。しかし、あまりにその描き方が大雑把というか杜撰というか、視聴者を萎えさせるに十分なショボさである。
ドラマに極端なリアリティは必要ない。リアリティに拘りすぎるあまり、表現として萎縮するの
ではつまらない。しかし、あまりにつじつまが合わないのではそれまたどうしようもない。最低限、というものがあるんじゃないのか。いくら「この物語はフィ
クションです」と最後に出すからといって、何もかもフィクションであっていいわけがない。
8/11
イメージ先行系
「ごきげんよう」の代理司会に関根勤。
ちょっと前に小堺入院の話をしたが、その時は「関根勤じゃあまりに普通すぎる」と書いたが、
世間はあまりに普通すぎる判断を望んでいると思ったのだろうか。あっさり関根代理が決まってしまった。拍子抜けもいいとこだ。
まあ別に関根氏が定着するわけじゃないから、代理としては申し分ないのだろうけどやっぱり貴
理子がよかったなとか心の隅で未だに思っていたりするのだけど(はぴひる打ち切りも決まったことだし)、今回はその話ではない。
一体、どれだけの人間が「ごきげんよう」という番組を真剣に見ているのだろうか。
難しい命題である。
自分が思うに、あの1時という時間帯は「弛緩」という時間帯だと思う。12時台にははりきっ
て「いいとも!」を見ていても、1時台にはヒートダウンしていることも珍しくはない。もっとも、裏でみのを見ている人やワイドでスクランブルした後に上沼
クッキングしている人のことは知らない。あくまで「いいとも→ごきげんよう」コンボの人間の話である。
もっとも、「ごきげんよう」という番組はそういう類の番組であり、気楽に見りゃいいのだから
こんな質問は無意味なのかもしれない。しかし、今回の話をするに当たっては一応考えておかねばならない。
もし自分がサイコロトークを任されたら。
現実にはあり得ない、としても想像してもらいたい。あなたならどうするか。
きっと、ゲストがサイコロを振るときに「♪何が出るかな、何がでるかな」と歌い、サイコロの
目が出たら「○○の話、略して○バナ」という司会進行をするのではないだろうか。無作為抽出アンケートみたいなものをしたら、きっとこうなると思う。
話をやっと先頭に戻すが、関根は「♪何が出るかな」を歌うことはなかったが、自分の想像の枠
をはみ出すことなく「○○の話、略して○バナ」つうのはやっていた。別に不思議でも何でもないのだけど。
しかし、自分からすれば既にこれは違和感がある。なぜか。
それは、今小堺は両方ともこのアレンジではないからだ。
今小堺はサイコロを振るときの掛け声は「♪何が出る」で語尾を止め「かな」まで歌わない。そ
して、滅多に「○○の話、略して」と話の名称を略するように観客に求めることはない。話に沿ったジェスチャーとか、ちょっと言葉では説明しづらい仕草を観
客に求める。以前より分かりにくいので客も気が抜けない。
最近ちゃんと「ごきげんよう」を見た人ならばこのことには気づいているはずだ。しかし、おそらくサイコロトークを任された素人は、上記のようなパターンで
の司会をこなしてしまうのではないか。関根勤ですらそうなのだから、素人ではほぼ間違いなくそうだ。
これっていうのは、いわゆる「イメージ先行系」であろう。
現実にはそんなことしていないのに、なぜかみなそうなってしまう。いや、今回の場合は「以前
はしていた」ので厳密には少しズレるのかもしれないけども、大枠ではこれの部類であろう。
例えば石田純一の「不倫は文化」発言は非常に有名であるが、実際に石田は「不倫は文化」とい
う発言はしていない。「不倫というような恋から生まれた芸術などの文化も世界の歴史を振り返れば存在する」みたいなちょっとインテリじみた発言だったはず
なのに、それを翌日のスポーツ新聞が「不倫は文化だ」と見出しを打ったことからいつのまにか石田純一は「不倫は文化」と発言したことになっている。そうい
う発言があったというイメージとして残っているのだ。意訳ではあっているが、実際には違う。これはまさに「イメージ先行系」である。
これと同様に、小堺はもう「♪何が出るかな」と歌ってもいないし、「略して○バナ」というこ
ともしていないのになぜかそういうイメージとして残っている。「ごきげんよう」の認識が世間にどれほどのもんなのか分からないけども、こういう漠然とした
イメージとしては浸透しているということなんだろう。
おそらくこういう認識というのは、誰か小堺のモノマネをやることで変わるんじゃないかと思う。小堺のモノマネをやる人が忠実に「♪何が出る!」で歌うモノ
マネをすればきっと世間の認識もこう変わるはずだ。小堺が実際はそう歌っている、という外側に向けた強いイメージが必要なのだと。
人間の記憶は案外簡単にすりかわる。それが「どうでもいいこと」であるなら、余計に。多くの
人にとって小堺の司会の振る舞いなど「どうでもいいこと」なのだろうが、自分には気にかかる。それは「ごきげんよう」をちゃんと見ているかそうでないか、
という話と関わりがあるのだと思えば、やっぱり「ごきげんよう」は殆どの人はいいかげんに見ている、ということになりそうだ。ただ、それは全く悪いことで
はない。普通。
8/10
殺人と断定しちゃいました
今週も「TVのチカラ」を書いちゃいます。だって、面白いんだもん。いろんな意味で。
今週は自動車の転落現場がどうにも怪しいぞ、つうことで専門家に自動車を鑑定してもらい、自
動車がどのような転落をしたのか検証していた。一応結論が出たのだけど、やっぱりそれほど進展があるとは思えない展開で。
転落の状況よりも、自動車に残っていた血痕が失踪したOLの血液型とは別だったことで、どの
ように転落したかが問題ではなく、OLが転落時に自動車に乗っていなかったことが判明したのが何より重大である。しかも三重県警が発表した「血液型はO型
だから彼女のもの」という捜査結果とは全く別の結論が出たのだから、尚更。
OLの自動車にOLではない別の人間の血痕が残っていて、なおかつ彼女がそこに落ちたかのよ
うに偽装工作がされていたのだから、彼女を隠そうという意思が明確に読み取れるわけで、これを刑事事件として立件するのはさほど困難なことではないだろ
う。だからこそ、番組としては「殺人事件」と勝手に断定しているわけですがそんなに先走っていいのか、テレ朝よ。まだ殺されたとは限らないんじゃないの
か。監禁の可能性は?
彼女が谷底に転落し、その後数日生きていたかのような偽装工作は「彼女の本当の所在を隠そ
う」という意図は読み取れるものの、彼女が殺されたと断定できる要素は実は検証データからはひとつもないことにお気づきだろうか。勿論殺された可能性は高
いのだろうが、殺されている確証もないのに「殺人事件」と打ち出したのには訳がある、と思わざるを得ない。
その「訳」とは。言うまでもなく「三由デコ」師の存在である。結構この名前の検索で飛んでこ
られる方も多いようなので、調子に乗ってまた登場。デコ。
何の連絡もなく行方不明。死んだ、殺された可能性は大。でも、本当に死んだかの確証はない。
拉致、監禁されている可能性もある。けど、番組では既に殺人と断定。それは、デコが「OLはあの池(沼?)の近くにいる」と死んだ霊の声を聞いているからだ。死んでないと霊とは交信できませんもの。デコ
が交信しているつうことは死んでいることの何よりの証左。
自然死は考えにくいのだろうから、おそらくは殺人。いや、事故死の可能性だってないわけでは
ない。でも、事故死の可能性は今回の「偽装工作」が発覚した以上は番組としては消し。つまり、殺人しか番組の進む道は残されていないのである。
あ、そういや先週発見された骨は案の定、と言っては失礼だが獣の骨だとさ。なんであんな捨て
方をしたのかは不明だけども、結局は獣骨。何の進展もなし。
そう、何の進展もないのだ。今週だって偽装工作があることは発覚したが、B型の人間の情報求む、くらいの話しかしてないわけで、状況としては殆ど進んでい
ないに等しい。だから、今回もまたデコの元を訪れる。んでもってデコはこう言う。「やっぱり、あの場所にいる」と。
番組としてはこう思っただろう。「あの池からは獣の骨しか出ねえよ」と。けど、デコが、東北
最強がそう言うんだから無下に否定もできない。というか、それほどまでにデコが断言するんだから、裏を返せば出てもらわないと困る。だからこその、来週
「池の水を抜いて再調査」なのだ。
科学調査もやり尽くしたし、自分たちに出来ることはとりあえず終わった。しかし、なんだか真
相がもう少しで見えそうな気がする。あとはもうデコ頼みなのだ。もはや「TVのチカラ」ではなく「デコのチカラ」が重要になっている。番組としてはそれで
いいような、ダメなようなだけど面白いからいいのか。
来週、何としてでも池から何か発見されないと困る。別に骨が出なくてもいい。彼女の何かが出
ればいい。いざとなりゃ自動車に残されていたかばんの中の何かを池に放り投げて、そいつを発見したと捏造したって構わない。何か出てこないと、デコも番組
も視聴者も困るんだ。
ここまで煽っておいて真相は闇の中、では済まされないこの事件。もはや手詰まりの様相を見せ
ている番組が発見するのは、手掛かりか、それとも。といったところではないか。なんだか自分も煽りすぎだなぁ、こりゃ。
で、2週続けて「TVのチカラ」について書いたけども、今ごろになってこの番組の「肝」に気づいた。いや、とっくに気づいていたのに、あまりに当たり前す
ぎて言葉にするのを忘れていた、というほうが正しいか。
この話はまた来週にでもします。別に引っ張るようなことじゃないんだけど、番組に倣って引っ
張ってみる。
いやー、「新選組!」面白いわー。
もう先週あたりから山南こと堺雅人絶賛モードに入っているわけで、今週も大絶賛したいのは山
々なのだけど、来週再来週と最大の見せ場が待っているので、堺雅人について熱く語るのは後回し、つうことで。(あ、別に男色とかじゃないっすよ、自分。)
それよりも今週はもっと熱い男がいるではないか。その名は平畠啓史。
言わずと知れていない、といっては非常に失礼なのだろうが、まあ気づかなくても無理はない程
度で話を進める。平畠は吉本興業所属の芸人さんである。いや、こんな回りくどい説明しないほうがいいのか。簡単に言えば、新選組ドラマ内でも永倉新八とし
て活躍しているぐっさんこと山口智充の相方、DonDokoDonのツッコミである。
自分は以前に一言コメント(最終更新日の下に書いてあるやつね)で、意外なところでドンドコ
ドン共演、みたいなことを書いたのだけど、新選組の知識に乏しい自分としては、平畠演じる葛山武八郎がどのような役回りの人物であるか全然知らなかった。
だから、最初は製作側のちょっとした遊び心でキャスティングしたのかな、とか軽い気持ちで思ったりしていたのだけど、ところがどっこい(表現が古いな)、
最後には切腹をするシーンまであるという結構な役回りだったわけである。
もちろんこんな大きな役であるとはいえ、キャスティングの段階では当然に遊び心もあったので
はないかと思われる。だって、普通平畠を使おうとか誰も思いつかないもの。いくら地味な役であるとはいえ、もっと地味系の役者ってたくさんいるわけで、そ
れら地味系役者を差し置いて平畠が選ばれるなんてことは、まずない。正直、山口のおかげであると思う。
と、書いてはみたものの、自分はこのキャスティングをある一点において非常に素晴らしいと感
じたことも同時に書き記しておかねばなるまい。
重要なのはこのシーンでのやりとりである。
切腹を命じられた葛山こと平畠は切腹を命じた土方に向かってこう叫ぶのだ。
「自分は山南に頼ま
れてこの建白書の下書きをしただけだ。山南に会わせろ」と。
しかし、それを聞いた土方はこう返すのだ。
「それを聞いて安心
した。お前のように何の考えもなく局長に楯突くような真似をするやつは生きるに値しない」と。
自分はこのやり取りを見たときに、なぜこの役は平畠だったのかという疑問に答えを見つけたような気がする。それは、平畠の芸能界での生き様がこの葛山に似
ているような気がしたからだ。
新選組での葛山は、特にご公儀のために働くといったポリシーがあるわけでもなく、「なんとな
く」参加した感じがする(ように少なくともドラマでは描かれていたように思える)。特に戦いを好むわけでもなく、切腹を命じられる前も書物を読んでいた。
一方、ドンドコドンの平畠も、特にお笑いで頂点を取るといったポリシーがあるわけでもなく、
「なんとなく」芸能界で今のポジションに甘んじている感じがする。いまや相方山口のピン活動が目立ち、レギュラー番組「ワンナイ」でもいるのかいないのか
わからない有様。あれだけ芸人が一同に集まった27時間テレビでの「真夜中の大かま騒ぎ」においても平畠は一切自分から前に出ようとする素振りはなく、殆
ど置物であった。
つまりは、両者とも「ポリシーのなさが命取り」つう部分で共通してるんじゃねえか、と。
別に平畠が今後死ぬようなことはないとは思うが、もしドンドコドンが解散という事態になれ
ば、彼はもう芸能界で生きていくのは困難ではないのか。まさに、芸能界で死ぬといってもいいのではないだろうか。もっと芸に対してポリシーがあれば、と言
いたくもなるのではないのか。
おそらくこんなこじつけの解釈をするのは自分くらいなもんだろう。ただ、現在の平畠の境遇とドラマでの葛山の境遇は偶然というには勿体無いくらいに上手く
シンクロしていたのではないかと自分は思うわけだ。つまりは、この役は平畠にやらせて然るべきだった、平畠にとっての最初で最後の当たり役かもしれないと
まで自分は思う。
切腹のシーンも素晴らしかった。最後まで恨み節を重ね、斎藤一が間者であることに気づく(お
そらくこれは油小路事件での斎藤の行動の伏線になっているんだろうけども)。おそらく、こんなに大声でたくさんのセリフを喋った平畠を見たのは、これが初
ではないだろう
か。ドンドコドンのコントでもこんなに喋ってないような気がするぞ。
後にも先にも、これほど平畠がテレビで目立ったことはないのではないか。今までの平畠のテレビでの目立ち方を考えれば、おそらく一生分の目立ち方をしてし
まったに違いない。もう新選組での出演はないのは当然だが、これを機に平畠がテレビから姿を消しても、本望ではないのかと勝手に思うわけである。それくら
い今回の平畠は良かった。ありがとう、そして(勝手に)さようなら、平畠。
さて、来週からは山南こと堺雅人スペシャルだ。気合が入りますな。(だから男色じゃないっすよ。)
8/8
やりすぎはよくないよ
その1:「爆笑問題のバク天!」24分間テレビ
いわずもがな「24時間テレビ」のパクリなのだが、いわゆるやりすぎである。
太田らが黄色いパクリTシャツを着ているくらいは問題じゃない。そのくらいはジョークである
し。偽新庄もいいさ。偽谷村とか偽加山雄三(あれってコージー冨田か?)くらいまでも許せる、くらいの話でいいだろう。でも、マラソンはなぁ。
辛酸なめ子が適当に走っていたのだが、結局27時間の加藤でも見ることが出来なかった究極の
落とし方「タクシー」はいくらなんでも、と。24時間のマラソンの胡散臭さの揶揄だとしてもあまりに露骨すぎるし、そうでなくても単純に茶化しているだけ
なのだとすれば、本当に日テレに怒られそうな悪ふざけだったような気も。
一番タチが悪いのは、爆笑問題が24時間のパーソナリティー経験者であることなんだけどな。
その2:27時間テレビにおける具志堅VS岡村ボクシングの延長4R
「めちゃイケ」のコーナー「やべっち寿司」にて来店した哀川翔が放った言葉。「あの4Rめは
いらなかったんじゃないの」と。
岡村がオールナイトでも発言していたように、あの延長が全く不本意のものであることは判明し
ているのではあるが、めちゃイケ側のナレーションのかぶせ方として「視聴者を代弁して」みたいなのはどうなんだろう。
結果的に「やりすぎ」であったことは判明はしているものの、27時間全体の構成ではなくあの
ボクシングだけ取り出したときに、本当に視聴者はあの4Rを「やりすぎ」と感じたかについては疑問である。むしろ、「岡村4Rすげえ」とかの感動にベクト
ルが向かっていたので、その4Rを好意的に迎えた視聴者のほうが多かったんじゃないのか。
あの哀川翔の発言をナレーションでフォローするのは結構難しいことだとは思うが、後々になっ
て判明した事実をもとに「あの4Rは余計だった」みたいなことを番組として表明するのはいかがなもんかと思う。
「やべっち寿司」の収録は27時間テレビの2日後(つまり火曜日か)だったらしいが、本当に
収録素材に余裕がないんだろうな。来週が総集編だもの。この時期の総集編とはまた。
その3:サッカーアジアカップの中国のブーイング
これを書いている今決勝が行われているわけですが、「君が代」が流れている間の中国側のブー イングは凄かったわけです。
これに関して、「中国はオリンピック開催国としてブーイングを沈めるのに必死」だとか「政治 とスポーツを結びつけるな」だとか色々言われているようですが、自分は単純にマナーが悪いとしか思わないのですよ。
もし中国が2008年の北京オリンピックに向けてこのようなことがあってはならないから、こ
のブーイングを沈静化するのに必死なんだとすればそれはきっと4年後にも同じようなことが起こるような気がするし(事態はちっとも好転しないだろう、つう
意味で)、スポーツにこそ端的に発生を見るナショナリズムがこのブーイングを発生させているんだから「政治とスポーツを結びつけるな」とか言っても無理な
話だと思う。
ただ、政治とスポーツが結びつこうがつかまいが、敵国が地元にやってきて試合をやる以上は
ブーイングで迎えるなんてことはマナー違反ってだけだろう。中国が反日教育をしているのは知っての通りですから、今更それを改めろとか言っても無理な話だ
とは思う。けど、反日教育が行き届いているからといってマナー違反をしていいという話ではない。
政治や思想がどうこう言う前に、マナーが悪い。やりすぎなのである。反日感情は持っていて
も、そこでブーイングをするかしないかは別問題だ。別問題だと思えば大した問題ではない(マナーが悪いのは教育でなんとかなるから)のだが、そこに政治を
結びつけると結論が出ない。このくらい誰かちゃんと発言しろよな。
えーと、軽くボヤきます。
自分は大学生という罪深きヒマ人の地位にありながら、この半年間非常に規則正しい生活を送っ
てきたことに自信があるわけです。
というのも、文系の大学生とは思えぬほどのタイトな授業日程を組んだからであり、毎日朝1発
目の授業に出席するという事態になっていたからです。どんなに遅く寝ようとも、ある一定の時間には目が覚める。これが重要なわけです。つまりは、体内時計
がちゃんと機能していたわけで。
しかし、夏休みに突入するとその体内時計はもはや不要のものでしかない。あっさりとその役割
は御免となってしまうわけで、いまや殆ど機能していません。深夜まで起きて、いい時間に朝目が覚める。バイトの時間だけ気にしておけばあとは一切のフ
リー。これが本来の罪深きヒマ人の時間の使い方なわけです。
おりしも北海道は例年にない真夏日続きの猛暑。寝なくてもいい、と同時になかなか心地よく眠
りにつけないという事態も勃発。ええ、空調なんて夜効かせて眠るハイソな家庭に生まれてないっすよ。北海道人が夜効かせて寝ていいのは暖房だけです。
つうわけで、ここんところの体内時計の破壊、熟睡できないありさま、様々な要因がここにきて
一気に爆発してしまったのですね。はい。
ハロモニを見逃すとはっ!
北海道では金曜の深夜に放送している同番組ですが、正直、ここ2年くらいノーミスで録画して見ていたわけです。不覚にも自分はちょっと気温が下がり非常に
寝心地がよくなった金曜深夜に眠りこけてしまい、そのレコードをあろうにも途切れさせてしまったわけです。後悔、というより他ない。一体自分は何のために
この夏を過ごしていると言うんだ。テレビ見るためじゃねえのか。
あろうことに、殆どテレビじゃ見ることのできないだろうモー娘。リーダー飯田圭織のソロ出演
があったポップジャムまで見逃した。なんてこった。
オリンピックの出現でますます狂うであろう体内時計ですが、今からこんなんでは先が本当に思いやられる。あぁ、情けない。
8/6
オリンピックですなあ
アテネオリンピックの開幕が近いということで、テレビも徐々にオリンピックモードに突入しようとしているようで。
オリンピック出場選手についての特集が増えているというのはそりゃオリンピックなんだし当然
のこと。4年に一度くらいマトモにスポットが当たっても全然バチが当たるようなもんではない。欲を言えば注目の(メダルが取れそうな、とも換言できるか
な)スポーツだけでなく、出場はしてるんだけどとっても地味だったりマイナーだったりする競技にも注目してあげてほしいぞ、と。
そんな本筋のオリンピックモードではなく、自分のいうところのオリンピックモードというのは
バラエティ番組にも当てはまる。
オリンピック特集をバラエティでも取り扱うことがある。別にオリンピック特集でなくても、た
だ単に「オリンピックが近いから」だとかいう理由だけでも、過去のオリンピックのメダリストが出演することが少なくない。ミリオネアにも水泳の金メダリス
ト岩崎恭子が出演しているくらいにして。来週のフレンドパークは荻原次晴と山本美憂が出演。これはTBSのオリンピックの解説陣だったはず。
基本的にメダリストつうのはよっぽどタレントになっていない限り、元々はスポーツ選手である
から、当然のことながらバラエティに向いていない。唯一にして最大の持ちネタがオリンピックの話であり、それ以外の面白話を期待するほうが間違っている。
そういう面白話を含めて番組にしているのが「ジャンクSPORTS」だったりするわけだが。
それにしても、オリンピックというのは何度も出場している選手というのは稀であり、よほどの
ことが無い限りは大体一度限りの出場である。そのうえ、オリンピックは4年に1度しか開かれないわけで、そんなにそんなにオリンピック出場選手、しかもメ
ダリストとなるとたくさん存在しているわけではない。だから、オリンピックの話をする人間というのは自然と限定されていくわけである。しかも、その選手
だって自分の出場したオリンピックの話しかできないわけで、その話が増えるわけでもない。手持ちのネタは未来永劫一緒なのである。
だもんで、オリンピックの話というのはもう聞き飽きたと言っても過言ではない。そりゃ面白い
話は面白いし、美談は何度聞いても感動はするんだけども、あまりに何度も聞きすぎて面白みがなさ過ぎるというか。例えば柔道にしても、山下泰弘が怪我を乗
り越えて金メダルを取ったときに、決勝での相手エジプトのラシュワン選手が怪我している右足を狙わなかった、だとか古賀稔彦選手が練習中に怪我をしてしま
い、その練習相手だった吉田秀彦と両者とも金メダルを取っただとか、そういう美談については何度も何度も繰り返し伝えられるわけだ。
面白エピソードならレスリングの小林孝至選手が電話ボックスに金メダルを置き忘れた、という
エピソードは爆笑ものであるがそれこそ何十回と聞いたかわからない。しかし、オリンピック時期になると必ずこのエピソードを耳にするし、ちゃんと小林さん
も出てきたりするわけだ。
原因は単純に4年に一度しか生まれないエピソードに対し、そのエピソードを紹介する番組なり
報道なりが多すぎるのだ。
とっくに「オリンピック話」の引き出しは全部使ってしまっている、使い古されているにも関わ
らず、やっぱりオリンピックが近づくと何度も何度も放送してしまう。だから、オリンピックの話はみな聞いたことがあるエピソードでいっぱいなのだ。限界な
のだ。
しかし、オリンピックは4年に一度しかないから、その「使い古された感」がいい具合に中和し
ているのが厄介だ。毎年毎年やっていればさすがに「もういいだろ」と気づくのかもしれないけど、下手にインターバルがあるもんだから「もうこれは今更振り
返らなくていいか」ということにならない。だから毎回毎回電話ボックスに金メダル、つう話が伝承されているのである。
最近のお笑いブームにおいて、一度見たことがあるネタを他の番組でまたやることに対して酷評する動きがある一方で、オリンピック選手が語る逸話を4年に
いっぺん何度も何度もやることに対しては誰も何も文句は言わないわけです。これだけでもオリンピック選手というのは優遇されているんじゃなかろうか、とか
勝手に思うわけですよ。
そんなわけで、今年のオリンピック選手にはまた新たな逸話を紹介できるような活躍を期待して
おります。
あ、そういや「こち亀」の日暮さんはもう今年は復帰しましたか?オリンピックといえば日暮。これも常識。
8/5
年齢を意識するとき
昨日の更新もそうだが、最近テレビを見ていて年齢を意識することがちらほら。
会う人会う人に実年齢を言うと必ず驚かれる自分ではあるが、なぜ驚かれるかと言えば「その年
齢には見えない」というのが最大の理由である。つまりは、見た目と実年齢(戸籍の年齢、というと笑いが起きます)にギャップがあり、実は見た目より若いの
である。簡単に言えば老けているわけで、今は老けているかもしれないが、10年後はみなが老けていくだけなのでその点では安心だ。
それはともかく、自分は見た目よりは若者であり、見た目の年齢に相応しいほどの経験を重ねて
いるわけでもない。なもんで、「たかだか20代の若者が何を偉そうに『年齢を意識する』だ」なんて言われそうだけども、注意してほしいのは「年齢を『感じ
る』」ではなく「年齢を『意識する』」である。別に「ああ、自分はもう若くないな」というつもりはない。まだまだ若い。若いつもりだ。けど、別に若くても
「年齢を意識する」ときがあっても不思議ではないでしょ。そこは誤解しないで頂きたい。
「速報!歌の大辞テン」つう番組がある。今週の音楽ヒットチャート10曲と、過去のヒットチャート10曲を比較しながら紹介していくというものだ。この番
組のキャッチフレーズである「歌でつなごう時代と時代」というのが最も分かりやすいか。
この番組が始まったのは、自分の記憶だと1996年の8月だか9月だったと思う。たまたまテ
レビをつけたらこの番組が始まって、当時の「今週のトップ10」の10位がSPEEDのデビュー曲「BODY&SOUL」だったと記憶している。
この曲の発売が96年の8月だから、大体番組の開始時期もこんなとこだろう。当時はまだ司会が飯島直子だった。
それから8年あまりが経過したわけだが、根強くまだこの番組は続いている。司会も中山エミリ
に代わって久しい。変更当初は毒光が「エミリーちゃん」と呼んでいたのだが、最近ではちゃんと語尾を延ばすこともなく普通に「エミリちゃん」と呼んでい
る。年月というのは人間を成長させるものだ。
そんなことはどうでもよろしい。で、今回の放送では「昔のトップ10」が平成9年、つまりは
1997年のトップ10だった。7年前といえば確かにもう「昔」というくくりに含まれるんだろうけど、自分にとってはまだまだ現役の記憶であるがゆえに、
全然昔という感じがしない。けど、やっぱり7年前は昔なんだろうな。それは別に問題じゃないんですよ。
なんか戸惑ったのはそこではなく、「この番組が『今週のトップ10』として扱ったことのある
ランキングがもう既に『昔のトップ10』になってしまっていること」である。
別にこの現象は今に始まったことではないのかもしれない。しかし、久々にこの番組を見た(と
いうのも、裏番組にヘキサゴンが出来てからご無沙汰していたから。今日はナイターでお休みだったからこっちを見ていた)らそういう事態に遭遇してしまった
もんだから、ちょっと変な感じになったわけだ。
同じ番組内において、同じランキングを「今週のトップ10」とも「過去のトップ10」とも紹
介することができる。同じものを「名場面」として総集編などで放送することは珍しくないだろうけど、全く同じではないにしろ、似たようなランキングをまた
ひとつの素材として使用できるというのは、いわば「究極のリサイクル」と言っても過言ではないと思う。
しかし何より変な感じなのは、当時「今週のトップ10」として紹介されていたSPEEDの島 袋寛子(hiro)が今回ゲストとして出演し、しかも過去のトップ10の自分のVTRを見て恥ずかしがっている。視聴者にとってみれば小さい頃からアンタ をずっと見てきてるんだから、そこで恥ずかしがられてもみたいな気分になってしまう。あの小さい子がいまやこんなに立派になって、つう感覚なのだろうか。 それでいて、ふと「自分もこんな年齢になったか」と思わせるのである。
ここで終わればきれいな話(でもないか)なのかもしれないが、本当に自分の年齢を意識するのは「トリビアの泉」なのである。お気づきの方も多いかもしれな
いが、トリビアの投稿者の年齢を注意して見ると、最近は結構小学生からの投稿が多いのだ。今回の金の脳を取った「自動墨すり機がある」というトリビアも、
投稿者は9歳のガキんちょである。
「こういう番組だから」とはいえ、9歳のガキんちょに教わったトリビアで爆笑してていいもん
か、とふと我に帰ることがある。これってきっと自分の年齢を意識して、つまりは投稿者の年齢と比較しているからこう思うわけだ。別にネタの優劣は年齢で決
まらないのだから、こんなことを考えるのは無意味だろうし、楽しみ方としても間違っているんだろうけど、一桁の年齢のヤツにすげえ頭よさそうなトリビアと
か紹介されても、やっぱり素直に関心できない自分がいたりする。小さい人間かなぁ、自分は。
8/4
あの女は誰だ
野沢直子が出稼ぎに日本に戻ってきている。
1年に1度必ず日本に戻ってきてはいろんなバラエティに出演し、一定の笑いを振りまいて去っ
ていく野沢直子が好きである。いいともに出演したときに「もう40になっちゃったのよ」とか聞いたときにはびっくりしたが、それも時の流れつうもんだろ
う。
野沢直子について軽い説明を、と思って検索なんぞをしてみたら、これが案外出てこない出てこ
ない。やっぱり野沢直子は過去の人なんだろうか。自分が記憶している野沢直子といえば「クイズ世界はSHOW BY ショーバイ」なのだけど、有名なのは
ダウンタウンやウンナン、清水ミチコと共演していた「夢で逢えたら」になるのだろう。90年代前半に活躍したという印象で間違いはなかろう。
バラエティ番組などで活躍していたが、外人のボブさんと結婚してからは海外に移住、その後年
に1度は日本に戻ってきて出稼ぎをするというのが現在の野沢直子のたたずまい、つう説明でよろしいでしょうか。何か不備があれば遠慮なく指摘していただき
たい。
と、このように書いて野沢直子について理解できる方は何の問題もない。指摘できるほどの知識があれば尚更である。しかし、現在日本で生活している人で「野
沢直子が何者かを知らない」人というのは確実に存在する。自分は20代なのでまだ野沢直子の知識があるけども、今の10代はどれだけ野沢直子を知っている
のだろうか。自分は時々そういうことを考える。
たまーにテレビで見るあの珍妙な格好をして面白の言動をするあの女は誰だ。こんな事を10代
の若者が思っていても不思議ではない、と自分は思う。自分の記憶には無いのに、テレビに出演している人間はみな彼女のことを知っている。けども、なんだか
その存在はよくわからない。見たからに年食っている自分の知らない芸能人が大物扱いされているならまだしも、ぱっと見年齢不詳の野沢直子が共演者の芸能人
と対等に渡り合っているのは違和感を抱くのではないか。
同じ出稼ぎ芸能人にしても、大橋巨泉ならば「いかにも」という表現がぴったりのように、老け
ているし金持ってそうだし、なにより言動が横柄であるからなんとなく「大物なんだろうな」という想像はつきやすいが、野沢直子に関していえばそういう部分
があるわけでもないし、「何者?」と思わせるのには十分すぎるほど知らない人間にとってみれば謎だろう。
別に10代にとって野沢直子が謎な存在だからといって、「それがどうした」と言われれば「いや、別に」としか返事のしようがないのだが、裏を返せば、野沢
直子という人間を知っているだけで、その価値がわかるというだけでも「得した気分」にならないだろうか。ならないかなぁ。
以前自分はユリオカ超特Qや田上よしえのような「年齢を選ぶ芸」が好きだと書いたが、それと
同じような感覚。野沢直子の言動は今の10代にとっても面白いもんだとは思うけど、その全盛期を知っている人間と同程度までその面白さが理解できるかとい
えばNOだろうし、全盛期を知っている人間のほうが笑えると思う。
つまりは、野沢直子は20代以降にとっての贅沢な笑いなのである。10代は分かったフリをす
ればよい。そして20代以降は普通に楽しめばよい。
「伊東家の食卓」にてムラサキキャベツの汁で着色した青色ところてんが
酸性の酢をかけて食べるときにはピンク色に変色していて、子どもたちも喜んで食べる!
見たいな戯言を抜かしていたのですが、そうまでして子どもにところてんを
食べさせる必要は全くないのでは。
好きな人が食べればいい食品じゃないのか、ところてん。
8/3
今週のインパクト
「東京フレンドパーク2」に吹石一恵が出ていたので、彼女について熱く語ろうと思ったのですが、2日連続はさすがにマズイと思ったんで別の事書きます。
「TVのチカラ」が凄いことになってます。
以前にも「どうもあの引っ張り方が胡散臭い」とその信憑性に疑問がある、ということを書いた
のだが、どうもまだOL失踪事件は続いているようで、今回は遂に「謎の骨」が池の底から発見された。しかも、その骨の在処を突き止めたのは最強の霊視軍団
である。なんだか弁護士軍団みたいでイヤだな。まあ、詳しくはこ
ちらをご覧頂きたい。
今回「東北最強」らしい霊能者「三由デコ」師が降霊した結果、その骨は見つかったらしいが、
骨が見つかる云々前に自分はデコ師が面白くてたまらない。デコ師。名前だけで十分に最強である。
その他ヤツェックとかいう人の霊視も同じポイントをさしており、その池からは明らかに人為的
に沈めたと思われる袋が発見され、中には焼かれた骨や歯、毛が生えていた骨が見つかった。ただ単に文章に起こすだけなら大した話ではないかもしれないが、
実際に泥だらけの池の底から人為的に沈められた袋が発見され、中から骨が出てくるという映像は多大なインパクトがある。
まあ、いくら霊能者がこぞって同じ地点を指したからといっても、それが本当に失踪したOLの
骨であると断定はできない。勿論、人骨かどうかもわからない。大型の獣の骨である可能性もある。けども、あれだけ煽られてしまっては視聴者は「すげー、骨
見つかったじゃん」となってしまう。かくいう自分だって放送を見たときは「うわ、なんだこりゃ」となった。頭では「いやいや、この骨は動物かもしれない
じゃん」と思っていても、実際に流された映像は、それ以上に迫力があるというか、見る者に強烈なインパクトを与える。
ま、これが失踪したOLの骨かどうかなんてのは今後の放送に任せればいいのである。興味がな
いと言えばウソになるけども、自分がこの後あれこれ推論をめぐらせたところで進展するわけでもなく、あまり建設的ではない。自分が今回言いたいのはここで
はない。
「論より証拠」つう言葉がありますが、今回の放送はまさにコレではないかという気がする。いや、骨が証拠つう意味ではなくて、「論より証拠」の示す意味が
ごとく、今回の放送は「ごたくを並べた推論より衝撃映像」なのである。
この番組は霊能者による捜査などを繰り広げて、何らかの解決をするところに醍醐味がある。い
くら霊能者がごたくを並べたところで何も発見できないのでは見ていてちっとも面白くない。同時に、あれこれ科学的根拠より推論を並べてもそれが解決に結び
つかないのではやっぱりつまらん。
でも、解決はしなくても少しでも何か起こるとワクワクする。しかもそこに衝撃の展開が待って
いれば言う事ナシである。たとえそれが解決に結びつかなくても、だ。「衝撃の展開」で十分なのである。
その意味では「池の底から骨発見」というのは「衝撃の展開」として理想であろう。「骨発見」
ではあるが、「人骨」ではない。しかし、実際に骨が引き上げられるということは、それが例え動物の骨であったとしてもテレビの最大の武器である「映像」と
しての衝撃がでかい。よく考えれば、骨が発見され、その骨は現在鑑定中であるという結末はちっとも先に進んでいないのだ。けども、今回の放送を見た視聴者
は「満足」したのではないか。本当はなにも進展してないにも関わらず。
実際にこの番組を見ている人は「進展するから面白い」と思っているかもしれないけども、本当は「衝撃の展開」で満足してしまうのである。だからこそ、「緻
密に積み上げられ、解決に結びつくような理論」よりも「事件の解決には必ずしも結びつかないかもしれないけども、視聴者が驚くようなそれなりの衝撃映像」
のほうが番組としては重要なのである。
別に事件が進展しなくてもいい、という事を言っているのではない。番組制作側だって事件が進
展してくれたほうがいいに決まっている。けども、製作側は必ずしも進展しなくても番組が作れることを知っているからこそ、このような番組の作り方が出来る
んだろう。それは番組としてのテクニックとしては褒められることだろうけど、あまりそういう作り方していくというのも、番組の性質を考えたうえではもう少
し考えたほうがいいんじゃないかとも思う。
とりあえず、骨の鑑定結果をはやいとこ教えてくれ。話はそれからだ。
8/2
札幌のの中心で、亜依を叫ぶ
日曜日、昼間、すすきのにいました。
一応、札幌の中心、ということになるでしょうか。
蒸し暑い日曜の午後、ひとりの男は苦悩していました。
何も言葉が出てこない。
8/1という日は、モーヲタにとっては忘れることの出来ない日です。
2002年、あのハロプロ構造改革が発表されたあの日。自分は目の前が真っ白になって、その
日の大学の試験どころではなかった。
そしてあの衝撃から2年後、またモーニング娘。から2人のメンバーが去っていく。8/1とい
う日は業の深い日なのです。
そんな事、とっくに分かっているはずだった。
今日が卒業の日なんだと。
いつもなら、今までの自分なら、何かしらの言葉は紡いでいたはずだ。
しかし、今日は違う。何ひとつ、言葉にすることができない。
それは、感動でも、悲しみでもない。
圧倒的な、無。
何か言わねばならない。けど、言葉にならない。
自分には言葉を並べる使命があったはずだ。いつもそう思っていた。けど、こんな肝心な時に
限って、出てこない。
辻希美と加護亜依。2人の少女が、モーニング娘。を去る。
事実はきれいだ。卒業。そこに隠された本当の意味。剥奪。
卒業といっても、芸能界を引退するわけでもない。ただ単に、モー娘。から離れ、モー娘。の楽
曲を歌う資格を剥奪されるだけ。
そこに、自分は何を見出すというのか。
ライブを見た人間は、いい。そこに意味を勝手に見出す。勝手に。しかし幸せだ。
自分にはそれがない。同時に、言葉もない。思想もない。
あるのは、卒業という事実だけ。
自分はそのことが気がかりで、苦痛で、どうしても言葉に出来なかった。
言葉にすればそれは愚痴になるし、言いたくもないし、知りたくもないだろう。
そんな人間が、どんな言葉でどんな思想を語れるというのか。
あるか。ひとつだけ、ある。
そう、今なら言えるかもしれない。ひどく単純で、ひどく無思慮で、ひどくまっすぐな、この言
葉を。
モーニング娘。の辻希
美と加護亜依が、ずっとずっと好きでした。
もうそこに、分析やら、評論やら、思想やらはいらない。自分は好きだったんだよ、モー娘。の
辻加護が。
それだけで、いいじゃないか。
彼女らは決して引退はしないさ。W(ダブルユー)としてもやっていくんだろうさ。
けど、今しか言えないこの言葉、自分は最後に言えて本当によかった。
こんな更新、するつもりはなかった。
けど、自分はどうしても書き残しておきたいと思った。
どうせこの気持ち、代々木には届いていないだろうさ。
それでも、それでも自分は札幌の中心で、愛を叫ぶのだ。
代々木にいた誰よりも、もちろんメンバーよりも、自分のこの思いは正直であると胸を張って。
サイト史上、もっとも気持ち悪い更新内容。今日だけ許して。
8/1
1週間経って分かったこと
あのお祭り、27時間テレビから一週間。一応書き終えたつもりだったんだけど、やっぱりもう少し書かせて欲しい。
自分だけではなく、非常に多くの方々が27時間テレビについての感想を寄せていた。ただ、そ
れは実際に27時間テレビを見たうえでの感想であり、当事者ではないわけだ。勿論視聴者としての27時間テレビについての批評は重要であり、その批評の熱
さからも今回の番組が成功だったことを言うまでも無い。
しかし、あの27時間を内側から見ている人間はどういった感想を持っているのか。視聴者が見
ることのできなかった27時間。それが分かってくるにつれ、また新たな発見があるというものである。
この1週間で27時間テレビの出演者がメディアで主立って語ったものといえば、「ナインティ
ナインのオールナイトニッポン」「極楽とんぼの吠え魂」、そして土曜にに放送された「めちゃめちゃイケてるっ!」だ。この3つの番組から分かったことはな
んだろうか。
ナイナイのオールナイトについてはこちら(悪態日記さん)が、極楽とんぼについてはこちら(The Manのつわもの迷走記さん)が非常に質の高い
書き起こしをしているので、聴いていない方はぜひ一読してほしいです。(両サイトさんとも、勝手にリンク申し訳ありません)
ひとつは、加藤のマラソンについて。
テレビで見ていたこっち側としては、加藤がゴールできなかったのもひとつのオチとして成立し
ていたことから、あれはあれで製作側の狙いだったんだろうと勝手に思っていたが、そうではなく、岡村のマジボクシングをフリとした「ゴールしたのに誰も気
づかない」オチのはずだった、ということが分かった。
ラジオでナイナイも発言していたように、岡村の4Rは全くの予定外だったにも関わらず、加藤
がその間にゴールしてしまうという本来の予定オチが利いてくるならばそれはそれでOKだったはずなのだが、本当に加藤がゴールできなかったのでは岡村4R
もただの徒労なのである。
岡村4Rに勝敗も何もオチがついていなかったのはそのためであり、本当ならば加藤がいるはず
だった。だから、自分が4Rを始めたときに感じた「これは加藤が最後まで全く触れられずに放置されて終了か?」という予感もあながちハズレではなかったと
いうわけだ。もっとも、加藤の放置というのはめちゃイケでは常套手段なので、結構な人数が予想していたのだろうが。
時間内にゴールできなかった加藤は番組終了後も走り続け、深夜1時半にフジテレビにゴールし
た。矢部(他番組出演)を抜かしたメンバー(中居含む)がゴールを出迎える、という放送できなかったのに感動のゴールとなったわけである。これを放送中に
成し遂げたかった加藤と、「感動させるなら日テレでやれ」という相方山本。
実は、自分も山本の意見とそう変わりない。なぜ、なぜこの27時間で加藤は100キロマラソンをまともに走り、感動をさせる必要があったのだろうか。疑問
は解消されないのだ。
岡村のボクシングで感動させる「フリ」があって、その最中に加藤がゴールしても「誰も気づか
ない」というオチを用意していたのは分かる。いつものめちゃイケだから。でも、そうであるなら尚更嫁のカオリ(緒沢凛)と小羽(娘)が出迎える必要はない
はずだ。笑いに持っていったベクトルをいったん感動に向けて、更にまた大オチの深野さんに持っていくつもりだったのだろうか。ちょっと分からない。
加藤が真剣に走って、真剣に練習してこそ「ゴールに誰も気づかない」というオチが鋭さを増す
のは今までのめちゃイケでも実証されてきたことだ。岡女。での赤影しかり、めちゃダムの一輪車しかりである。で、その面白さは「全く報われない」ことに最
大のカタルシスがあるわけで、100キロ完走したからといって、誰も気づかないからこそ面白い。そこで、いくら本当に大変だったから、安産の水を届けると
いう口実があったにせよ、そこでいくら身内であっても妻が「ねぎらい」をしてしまっては、加藤が真剣に(笑いのために)100キロ走った意味がないのでは
ないか。感動は一切不要ではないのか。
番組としても流石に100キロ走らせてそれでは加藤に申し訳ないとでも思ったのか。しかし、
もし実際に加藤がゴールをしてしまっていたら、中途半端な感動とも笑いともつかない形になったんじゃないのか。今回、加藤が結果的にゴールが出来ずに、嫁
の手紙がボケみたいになってしまったことは実は「不幸中の幸い」ではなく、「結果的に一番面白い形」だったのではなかろうか。
もし嫁がどうしても感動的な手紙を読む必要があったならば、加藤が全く真剣に走らないという
方法を取るしかなかったはずだ。つまりは、放送前に自分が予想していたような「全然マジメに走ってないけど完走する加藤浩次」の図である。そうであれば
「おいおい、加藤全然あんたが言うように真剣に走ってないだろ」というオチになる。しかし、その手段を取らなかった以上は嫁の手紙は「笑い」という観点か
ら見れば、不要なものに過ぎない。
オチのために走っていたのであればいい。しかし、そのオチを超えたところに感動を用意してあ
るのではオチを潰すことになる。そこに番組は気づいていたのだろうか。深野さんの大オチはマラソンと直結しないがゆえに、マラソンとしては落ちない。
めちゃイケにおいて、感動で笑いが取れるのはやっぱり岡村だけで、加藤が感動させてしまうの
は違う。「感動させたいなら日テレでやれ」という山本の発言が非常に的を射ていると感じるのは自分だけだろうか。加藤には申し訳ないが、ゴールしなくて、
出来なくてよかったんじゃないのか。
もうひとつは東野幸治の存在。
ナイナイのラジオでも散々名前が上がっていた東野。かま騒ぎに出演していたら本当にどうなっ
ていたのか分からないだろう。岡村いわく、「企画段階で名前はあったが、いつのまにか無くなっていた」らしいが、めちゃイケでの加藤の暴露によれば「東野
さんがスケジュール的にアウトになったから、笑わず嫌いで東野が出演するはずだった枠の代理で山本になった」とのこと。
なぜ東野は出演できなくなってしまったのか。
一番そう思っているのはきっと本人だろうけども、いち視聴者としても残念でならない。
変な勘ぐりをするわけではないが、これだけのお笑い祭りだったにも関わらず、ダウンタウンの
名前が一切出てこなかったことと何か関係でもあるんだろうか。もし、あるんだとすればそれはさんまの発言ではないが「フジと日テレ、もうちょっと仲良くし
てください」よろしく、もっとダウンタウンと仲良くしてほしかったなぁ。
さすがに、さすがにもう書くことはないと思うんだけど、また何かあったら書いちゃうかもね。